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    パタンジャリとは|心の働きを静めるヨーガを体系化した賢者

    パタンジャリ(पतञ्जलि Patañjali)は、
    インドのヨーガ史において最も重要な人物の一人です。
    伝統的に『ヨーガ・スートラ(Yoga Sūtra)』の作者とされ、
    ヨーガとは何か、心とは何か、瞑想とは何か、
    そして人間がどのようにして束縛から自由になるのかを
    簡潔なスートラによって体系化しました。

    南インドのタミル・シッダ伝統でも、
    パタンジャリは「18人のシッダ」の一人として
    数えられる系譜があります。
    ナンディ・デーヴァルから教えを受けた聖者として語られる伝承もあり、
    ティルムラルとともにヨーガの重要な祖師として位置づけられています。

    ただし、
    パタンジャリという名のもとには
    ヨーガ、文法、医学など複数の伝承が重なっています。
    そのため、
    『ヨーガ・スートラ』の作者と、
    サンスクリット文法学者パタンジャリが
    本当に同一人物だったのか
    については、
    現在も学術的な議論があります。

    パタンジャリとは何者なのか

    パタンジャリという人物について、
    確実な歴史的伝記はほとんど残されていません。

    インドの伝統では、
    偉大なヨーギ、哲学者、文法学者、
    時には医学の知識を持つ聖者として語られてきました。

    特に有名なのが、
    ヨーガ哲学の根本文献
    『ヨーガ・スートラ』です。

    この作品は約195~196の短いスートラから構成され、
    後世のヨーガ思想に極めて大きな影響を与えました。

    一つ一つのスートラは非常に短いため、
    単独で読むだけでは意味を理解しにくく、
    古代から多くの注釈書が作られてきました。

    「ヨーガとは心の働きを静めること」

    『ヨーガ・スートラ』の中でも、
    最も有名な言葉の一つが次の一節です。

    Yogaś citta-vṛtti-nirodhaḥ

    一般的には、
    「ヨーガとは、心の働きを静めること」
    という趣旨で理解されています。

    ここで重要なのは、
    ヨーガが単なる身体運動ではないということです。

    私たちの心は常に動いています。

    過去を思い出す。
    未来を心配する。
    欲しいものを考える。
    嫌な出来事を思い出す。
    他人と自分を比較する。

    こうした絶え間ない心の動きを
    パタンジャリは
    「ヴリッティ(vṛtti)」
    という概念で説明しました。

    その波が静まったとき、
    人は普段の思考や感情の背後にある
    より深い自己を認識できる。

    これがパタンジャリのヨーガ思想の核心です。

    見る者が本来の自己にとどまる

    心の動きが静まったとき、
    『ヨーガ・スートラ』では
    「見る者」が本来の自己の状態にとどまる
    と説かれます。

    私たちは普通、
    自分の思考を「自分」だと思っています。

    怒っているときは
    「私は怒っている」。

    不安なときは
    「私は不安だ」。

    悲しいときは
    「私は悲しい」。

    しかしヨーガでは、
    その思考や感情を
    「見ている意識」が存在すると考えます。

    心の波が静かになるほど、
    その「見る者」が明確になっていく。

    この自己認識こそ、
    パタンジャリのヨーガが目指す重要な方向です。

    八支則 ― アシュターンガ・ヨーガ

    パタンジャリの教えで最も有名なのが、
    アシュターンガ・ヨーガ(Aṣṭāṅga Yoga)です。

    「アシュタ」は八、
    「アンガ」は枝・部分を意味します。

    つまり、
    ヨーガの道を八つの段階として示した体系です。

    1. ヤマ(Yama) ― 他者との関係における倫理
    2. ニヤマ(Niyama) ― 自分自身を整える規律
    3. アーサナ(Āsana) ― 安定した姿勢
    4. プラーナーヤーマ(Prāṇāyāma) ― 呼吸と生命エネルギーの調整
    5. プラティヤーハーラ(Pratyāhāra) ― 感覚を内側へ向ける
    6. ダーラナー(Dhāraṇā) ― 集中
    7. ディヤーナ(Dhyāna) ― 瞑想
    8. サマーディ(Samādhi) ― 深い精神集中・統合状態

    現代では「ヨーガ=ポーズ」というイメージが強くありますが、
    パタンジャリの体系を見ると、
    アーサナは八つの段階の一つにすぎません。

    ヨーガの本質は、
    身体から呼吸へ、
    呼吸から感覚へ、
    感覚から心へ、
    そして心から意識そのものへと
    進んでいく道なのです。

    第1段階「ヤマ」

    パタンジャリがヨーガの最初に置いたのは、
    難しい呼吸法でも瞑想法でもありません。

    人間としてどのように生きるか
    という倫理です。

    代表的な五つのヤマは次のとおりです。

    • アヒンサー ― 非暴力
    • サティヤ ― 真実
    • アステーヤ ― 盗まないこと
    • ブラフマチャリヤ ― エネルギーを節度ある形で扱うこと
    • アパリグラハ ― 必要以上に所有しないこと

    これは非常に重要です。

    どれほど高度な瞑想を行っていても、
    日常生活で嘘をつき、
    人を傷つけ、
    欲望に振り回されていれば、
    心は静かになりません。

    パタンジャリは、
    瞑想以前に生き方そのものを整える必要がある
    と考えたのです。

    第2段階「ニヤマ」

    ニヤマは、
    自分自身を整えるための実践です。

    • シャウチャ ― 清浄
    • サントーシャ ― 満足
    • タパス ― 規律・修練
    • スヴァーディヤーヤ ― 自己学習・聖典の学習
    • イーシュヴァラ・プラニダーナ ― 至高なるものへの帰依

    この中でも、
    現代人に特に重要なのが
    サントーシャ=満足かもしれません。

    人間の心は、
    一つ手に入れると
    すぐに次のものを欲しがります。

    より多くのお金。
    より高い地位。
    より多くの評価。
    より多くの情報。

    この終わりのない欲望そのものが、
    心を絶えず動かしています。

    パタンジャリの道では、
    外側から得る幸福だけではなく、
    内側にある静けさを発見すること
    が求められます。

    アーサナの本来の目的

    現在のヨーガでは、
    何百種類ものポーズが知られています。

    しかし『ヨーガ・スートラ』では、
    アーサナについて長大な説明はありません。

    重要なのは、
    身体を安定させ、無理なく長時間座れる状態を作ることでした。

    なぜなら、
    身体が痛ければ心は身体へ向かいます。

    呼吸が乱れていても、
    心は静まりません。

    身体を整える目的は、
    身体そのものを完成させるためではなく、
    瞑想に適した状態を作るためなのです。

    プラーナーヤーマ ― 呼吸から心へ

    次の段階が
    プラーナーヤーマです。

    呼吸と心には
    非常に深い関係があります。

    怒れば呼吸は速くなる。
    不安になれば浅くなる。
    リラックスするとゆっくりになる。

    逆に、
    呼吸を意識的に整えることで
    心の状態にも影響を与えることができます。

    古代のヨーギたちは、
    この関係を深く観察してきました。

    パタンジャリの体系では、
    プラーナーヤーマは
    身体的実践と瞑想の間をつなぐ
    非常に重要な橋となっています。

    感覚を内側へ戻す

    プラティヤーハーラは、
    現代では比較的知られていない
    ヨーガの重要段階です。

    私たちの意識は通常、
    外側へ向かっています。

    音。
    映像。
    スマートフォン。
    ニュース。
    他人の言葉。

    常に外部の刺激によって
    注意が奪われています。

    プラティヤーハーラとは、
    その感覚を内側へ戻し、
    外部刺激に自動的に反応し続けない状態
    を作ることです。

    ここから本格的な瞑想が始まります。

    集中・瞑想・サマーディ

    最後の三段階、
    ダーラナー、ディヤーナ、サマーディ
    連続したプロセスとして説明されます。

    ダーラナーでは、
    意識を一つの対象に集中します。

    その集中が途切れず続くようになると、
    ディヤーナ=瞑想になります。

    さらに、
    観察する者と観察される対象の境界が
    極めて薄くなる状態が
    サマーディとして説明されます。

    つまり瞑想とは、
    単に目を閉じてリラックスすることではありません。

    意識を精密に訓練し、
    通常の思考状態を超えていく技法
    なのです。

    『ヨーガ・スートラ』の四つの章

    『ヨーガ・スートラ』は、
    伝統的に四つの章
    「パーダ(Pāda)」に分けられています。

    • サマーディ・パーダ ― ヨーガとサマーディ
    • サーダナ・パーダ ― 実践方法
    • ヴィブーティ・パーダ ― 高度な集中とシッディ
    • カイヴァリヤ・パーダ ― 解脱・完全な自由

    この構成を見ると、
    パタンジャリが単なる哲学を説明しているのではなく、
    実際に人間の意識を変化させるための道筋
    を提示していることが分かります。

    シッディ ― 超常能力について

    第3章「ヴィブーティ・パーダ」では、
    高度な集中によって生じる
    さまざまな
    シッディ(siddhi)が語られています。

    非常に鋭い直観や認識、
    通常とは異なる知覚など、
    後世には超常能力として理解される記述もあります。

    しかし重要なのは、
    パタンジャリが
    能力そのものをヨーガの最終目的としていない
    ことです。

    特殊な能力に執着すれば、
    それ自体が新しい自我や欲望になります。

    これはタミル・シッダ伝承にも共通する重要な考え方です。

    最終目的「カイヴァリヤ」

    パタンジャリのヨーガが最終的に目指すのは、
    カイヴァリヤ(Kaivalya)です。

    これは単なるリラックスでも、
    健康でも、
    神秘的能力でもありません。

    心の働き、
    欲望、
    執着、
    自我による同一化から自由になり、
    純粋な意識が本来の状態に確立すること
    を意味します。

    外側の状況に完全に依存しなくても、
    内側に自由が存在する。

    それがパタンジャリのヨーガが示す
    究極的な方向です。

    パタンジャリと蛇の姿

    後世のインド美術では、
    パタンジャリは
    蛇と結び付いた姿で表現されることがあります。

    上半身は人間、
    下半身は蛇、
    あるいは頭上に蛇のフードを持つ姿です。

    これは、
    宇宙を支える神聖な蛇
    アナンタ/シェーシャの化身として
    パタンジャリを見る伝承と関係しています。

    この図像は歴史的人物の外見を記録した肖像ではなく、
    パタンジャリの霊的権威を表す宗教的象徴です。

    文法学者パタンジャリと同一人物なのか

    インド思想史には、
    サンスクリット文法の大著
    『マハーバーシュヤ(Mahābhāṣya)』を著した
    パタンジャリも存在します。

    この文法学者は、
    一般に紀元前2世紀頃の人物として
    位置づけられています。

    インドの伝統では、
    ヨーガのパタンジャリ、
    文法学者パタンジャリ、
    医学に関わるパタンジャリを
    一人の偉大な賢者として見る伝承があります。

    しかし現代の文献学では、
    これらをすべて同一人物とすることには
    慎重な見方があります。

    特に『ヨーガ・スートラ』の成立年代については
    研究者の間で議論があり、
    文法学者パタンジャリより
    かなり後の時代に成立したとする研究もあります。

    したがって、
    「紀元前2世紀のパタンジャリが
    そのまま『ヨーガ・スートラ』を書いた」と断定するのは慎重であるべき

    です。

    パタンジャリの年代

    『ヨーガ・スートラ』の成立年代については、
    現在も完全な一致を見ていません。

    古い説では紀元前数世紀に置く場合もありましたが、
    近代以降の文献研究では
    紀元後数世紀、特に4~5世紀前後
    想定する議論もあります。

    ただし、
    作品の一部にさらに古いヨーガ思想が
    含まれている可能性もあります。

    そのため本記事では、
    パタンジャリ本人の精密な活動年代は未特定
    とします。

    パタンジャリとティルムラル

    タミル・シッダ伝統では、
    パタンジャリと
    ティルムラル
    近い系譜に置かれることがあります。

    両者とも
    ナンディからヨーガの智慧を受けた
    シッダとして語られる伝承があります。

    興味深いのは、
    ティルムラルの
    『ティルマンディラム』にも
    八支ヨーガの体系が存在することです。

    ヤマ、ニヤマ、アーサナ、
    プラーナーヤーマ、プラティヤーハーラ、
    ダーラナー、ディヤーナ、サマーディ。

    基本的な八段階の構造は
    パタンジャリの体系と共通しています。

    そのため、
    タミル・シッダ・ヨーガと
    古典ヨーガの関係を考えるうえで、
    両者の比較は非常に重要です。

    『ババジと18人のシッダ』におけるパタンジャリ

    マーシャル・ゴヴィンダン著
    『ババジと18人のシッダ―クリヤー・ヨーガの伝統と自己覚醒への道』
    でも、
    パタンジャリは
    18人のシッダの一人として紹介されています。

    特にティルムラルを扱う章では、
    『ティルマンディラム』における
    アシュターンガ・ヨーガと、
    パタンジャリの
    『ヨーガ・スートラ』との比較が行われています。

    この点からも、
    クリヤー・ヨーガ伝統では
    パタンジャリを
    単に古典哲学の著者として見るのではなく、
    シッダ・ヨーガの大きな流れを構成する祖師
    として位置づけています。

    クリヤー・ヨーガという言葉

    『ヨーガ・スートラ』には、
    実際に
    「クリヤー・ヨーガ(Kriyā Yoga)」
    という言葉が登場します。

    パタンジャリは、
    その要素として
    タパス、スヴァーディヤーヤ、
    イーシュヴァラ・プラニダーナ

    を挙げています。

    つまり、

    修練する。
    自己を学ぶ。
    そして至高なるものへ自己を委ねる。

    この三つを組み合わせた実践が
    クリヤー・ヨーガとして説明されます。

    ただし、
    これは現在さまざまな流派で教えられている
    特定の呼吸法中心の「クリヤー・ヨーガ」と
    完全に同じ技法体系を意味するわけではありません。

    同じ「Kriyā Yoga」という名称でも、
    歴史的・伝統的文脈を区別する必要があります。

    パタンジャリが現代に伝えるもの

    パタンジャリの教えが
    現代でも読み続けられている最大の理由は、
    人間の心の問題が
    二千年前と大きく変わっていないからです。

    考えすぎる。
    心配する。
    怒る。
    比較する。
    欲しがる。
    過去に執着する。
    未来を恐れる。

    外側の環境は大きく変わりましたが、
    人間の心が生み出す苦しみの構造は
    それほど変わっていません。

    パタンジャリは、
    その心を力ずくで押さえ込めとは言いません。

    観察し、
    整え、
    集中し、
    静める。

    そして、
    心の背後にある
    「見る者」へ戻っていく。

    その意味でパタンジャリは、
    「心の働きを静めるヨーガを体系化した賢者」
    という言葉にふさわしい存在なのです。


    パタンジャリ基本情報

    日本語名 パタンジャリ
    サンスクリット पतञ्जलि
    英語・転写 Patañjali / Patanjali
    年代 未確定。『ヨーガ・スートラ』の成立年代にも複数説がある
    代表的帰属文献 『ヨーガ・スートラ(Yoga Sūtra)』
    主要思想 心の働きの静止、八支ヨーガ、瞑想、サマーディ、カイヴァリヤ
    八支則 ヤマ、ニヤマ、アーサナ、プラーナーヤーマ、プラティヤーハーラ、ダーラナー、ディヤーナ、サマーディ
    シッダ伝承 一部のタミル・シッダ系譜でナンディの弟子として位置づけられる
    伝統的図像 蛇・アナンタ/シェーシャと結び付けた姿で表現されることがある
    18人のシッダ ゴヴィンダンが紹介する18シッダ系譜を含む複数の伝承で重要人物として扱われる

    主な参考文献・資料

    1. Patañjali, Yoga Sūtra.
    2. Vyāsa, Yoga Bhāṣya.
    3. Edwin F. Bryant, The Yoga Sūtras of Patañjali.
    4. Philipp A. Maas, パタンジャリの『ヨーガ・スートラ』および『ヨーガ・バーシュヤ』の成立に関する研究.
    5. Tirumūlar, Tirumantiram.
    6. Marshall Govindan, Babaji and the 18 Siddha Kriya Yoga Tradition.
    7. Tamil Virtual Academy, パタンジャリおよび18シッダ関連資料.

    ※パタンジャリについては、『ヨーガ・スートラ』の作者、
    『マハーバーシュヤ』の文法学者、医学に関わる人物を
    同一人物とする伝統がありますが、現代の学術研究では同一性について議論があります。
    また、ナンディとの師弟関係、蛇神アナンタの化身という説明などは
    宗教的・シッダ伝承に属します。
    本記事では、伝統的な人物像と歴史学・文献学によって確認できる事項を
    可能な限り区別して記載しています。

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